遊びがいのちを支える 医療を変える

トップ 活動理念 活動の実績 普及啓発 遊びのボランティアがいる病院 みんなの声 支援のお願い フェイスブック リンク集 問い合わせ
カットみんなの声カットカットカット

子どもの声
★親の声へ ★医療スタッフの声へ ★ボランティアの声へ ▲上に戻る↑
子どもの声

退院後は医療費負担が大変

現在22歳で介護福祉士として働いて2年目になります。中学2年のときに白血病と診断され、国立国際医療研究センターで約4年間を過ごし、退院して現在5年がたちます。入院した当時13歳でした。骨髄移植をして退院できたのは中学2年の時です。ぼくは病院にいたので、高校受験から取り残され、やむなく定時制高校を選択しました。高校に入っても実際は治療が続いて、入院もしていたので、僕の思い出は楽しい学校生活ではありません。毎日、点滴につながれてるのが日課でした。病気のこと、将来のこと、考えることは嫌な思いばかりでした。外出や外泊のときも、周りで制服を着てる学生がうらやましかったです。みんなは制服を着て学校へ行く、僕は、帽子とマスクを着用して病院へ行く、そんな自分がとてもみじめに思うことがありました。1人泣く事もありました。抗がん剤の治療はとてもきつかったです。腰に太い針を刺して骨髄液を抜く検査や、点滴を刺すために何十回、何百回も検査をしてきました。とても痛くて怖い思いもしてきました。元気なころには知らなかった苦痛、恐怖の日々がありました。
闘病生活の中で1つだけ楽しみがありました。週に1度あそびのボランティアのみんなが来てくれる事です。週に1度たった2、3時間という限られた時間ですが、その2、3時間が僕にとって病気のことも忘れられる楽しい時間でした。一緒に話をするだけでも楽しかったです。闘病生活の中で、あそびのボランティアの存在はとても大きいです。2002年〜2006年まで、発病、再発、入退院をくり返した闘病生活は人生の中で、1番心に残る経験だったなと思います。
病気と闘った後は、社会と闘っていかなければなりません。義務教育も満足に受けられず、高校にも行ってなければ、資格ももっていません。周りは大学受験や就活、退院後の自分は1人取り残された感じでした。病気になったことを悔やんでもしようがない。1人でがんばっていくしかないと思いました。退院してすぐに高卒単位の取得、そしてバイトも始めました。少しでも周りに追いつきたいという一心で退院後の3年間は、失った時間を取り戻そうと必死でした。退院後も引き続き病院で検査と治療をうけています。がんの抗がん剤治療は免疫力が副作用で低くなってしまうので、病気などの感染に気をつけなければなりません。いろんな不安を抱えているだけに病院で知り合った仲間やボランティアさんたちとつながっていることは心強く思われます。
退院後の苦労では医療費の問題があります。20歳までは小児慢性特定疾患で無料ですが、20歳過ぎたら3割負担になってしまいます。その3割がとても負担です。抗がん剤の治療や検査はとても高くて特殊な検査を受けるときは2万、3万と請求がきます。10代で体がぼろぼろになって、這うようにして退院して、やっと働けるようになったら、今度は治療費でお金の多くが消えていきます。治療費の面でも収入に応じて、医療費の負担が少なくていい制度にしてほしいです。

最初は必要ないと思っていたけど (19歳男子)

 僕は高校1年のときに白血病になって、化学療法や骨髄移植を受け、2年7ヵ月入院していました。今年夏にようやく退院することが出来ました。
 最初は、16歳に遊びのボランティアなど、必要ないと、思っていました。日本地図のパズルをしながら、大学生ボランティアと話をしたりしましたが、ぎこちない会話でした。多分、ボランティアの人も、やりにくかったと思います。いつからか、K君がよく来てくれるようになりました。最初はオセロとか、ゲームをやってました。K君とは息が合いました。サッカーの同じチームが好きで、いろんな選手の話とかもしました。ある時、K君に「将棋、出来る?」と聞かれ、僕はまったく将棋をしらなかったので、いちから将棋を教えてもらいました。何回かやるうちに将棋のルールを覚え、ようやく対戦が出来るようになりました。でも負けっぱなしでした。将棋をしているときは、二人とも、静かになります。点滴がなくなり、看護師さんに「手を動かさないで!!」と言われ、心の中で軽く切れました。「手、動かさなきゃ、出来ないじゃん」と。看護師さんからしたら、メーワクな話ですけど。K君がニュージーランドに行くと聞き、ショックでもあり、楽しんできて欲しいとも思いました。このときに「どこに泊まるの?もし宿がなかったらどうするの?」とか、質問したのを覚えています。3ヵ月は長いなと思いました。3ヵ月後、K君が帰ってきて、ニュージーランドの話やお土産をもらい、いろいろ話をしました。因みにお土産のコップは愛用しています。
 話はぐ〜んんと飛びますが…。土曜日の午前だけでなく、水曜日の夜、19時から20時半くらいまでボランティアさんが来てくれるようになりました。最初はK君とコーディネーターのSさんでしたが、やがてIさん、O子さんも加わりました。いつも水曜が楽しみでした。着替えを早く済ませ、夕ごはんを食べ、皆さんが来るのを待ちに待っていました。トランプは大貧民やポーカーが盛り上がり、人生ゲームをしたり、4,5人でいろんな遊びをしました。誕生日もボランティアさんたちに祝ってもらいました。遊んでいるときは、少しだけ「病気になっても良かった」と思える時間でした。最初は、ボランティアって、と思っていたけど、退院した今ではかけがえのないものだったと思います。長い間、ありがとうございました。


ドラエモンの絵

遊びのボランティアさんを支援してください
拡大イメージを見る

親の声
★子どもの声へ ★医療スタッフの声へ ★ボランティアの声へ ▲上に戻る↑
親の声

在宅でも楽しく遊べる場所があるといいな

息子は今、小学4年生ですが、幼稚園の卒園式の日に熱が出て、急性リンパ性白血病と言われて、入院となりました。今は退院していますが、まだ通院とか、検査も続いております。
息子が3歳のときから父子家庭でして、仕事のときは両親に預けて、自分が泊まり込みという状態が続いて結構大変な思いをしました。ボランティアのみなさんに毎週来てもらって遊んで頂いて、その間に家に帰ってシャワーを浴びたり、子どもだけでなくて、自分の息抜きの時間も出来てすごく助かりました。
イギリスには寄付で病気の子どもたちが安心して遊べる場所、闘病中心の生活ではなくて生活中心の治療をする場所があることをビデオを見て知りました。今は息子はとても元気になっていますけど、何年か前までは外泊とかで家に帰っても感染症が怖くて外に出れなかったり、食事制限があって、子どももの好きなものが食べられないってこととか、そういう状態が続きました。そのイギリスのヘレン・ダグラスハウス、そこは親も一緒に泊まれて、そこに病気の子どもたちが集まって、泊まりも出来て、勉強が出来たり、一緒に食事が出来たり楽しい場所です。
日本にもそういう児童館のような場所があったらいいなあと思っているんです。それから、去年と今年も招待して頂いたんですが、伊豆高原に一碧湖という湖があってその近くにアンダ別邸一碧湖というリゾートホテルがあります。そこにNPOの仲介で一泊招待していただいたんですが、同じ時期に入院していた子どもたちも一緒に、7家族が同窓会みたいな感じで楽しく過ごせました。病気の子どもだけではなくて、親ときょうだいまでも招待してくださって、ありがたいと思っています。親にとってもそういう集まりの場があることは情報交換ができたり、仲間も出来て心強いし、こういうことに協力をしてくれる企業をつないでくれるNPOが増えたら、他でも闘病している子どもや家族は助かると思います。

楽しいひとときに感謝 (5歳男児の母)

 遊びのボランティアさんに毎週土曜日に遊んでいただくようになって、9ヶ月になります。親子で土曜日を待ちわびております。
 息子はいやでしょうがなくて、いつも「後で…」と言っている薬、体拭き、吸引、歯磨き、うがいなどでも、私が「今日は土曜日なんだけどな…」と言うと「え??ボランティアさん来るの?」とうれしそうに、あっという間に済ませて、ボランティアさんがいらっしゃるのを心待ちにするようになりました。
 私もボランティアさんが息子と遊んでくださっている間に、安心して色んな用事をさせていただいて、感謝しております。


通訳ありがとう (5歳男児の母 母は中国人、父は韓国人)

 私の子どもが国立国際医療センターに入院している間、毎週土曜日にボランティアの人たちが来て、たくさんのおもちゃをもって子どもと遊んでくれます。子どもの笑い声が聞えると私も嬉しいです。私は日本に来て間もないし、日本語がしゃべれません。
 遊びのボランティアの中で韓国語の出来る学生さんが見えて、子どもとおしゃべりをしたり、またお医者さんと母親の通訳をしてくださって、問題を解決していただいたことがありました。ボランティアの方が来てくださると私たちの孤独な気持ちが温かくなり、疲れた体も癒されます。いつも子どもと楽しく遊んでくれるボランティアの方々に感謝します。心からこの活動に対して祝福を祈ります。(原文は中国語)


ストレスたまる毎日に新しい風 (5歳男児の母)

 子どもが喘息で入退院を繰り返しています。子どもの体調が悪かったので付き添いを選びました。毎日、毎日、子どもと私の生活。具合が悪いときは寝たっきり、調子が良くなると、毛布とタオルケットでイスをつくり座れるようにしました。ただ、長く座ることもできず、20分ぐらいでまた、横になる毎日を過ごしてきました。
 入院して1ヶ月のこと、体調もよくなり座ることも多くなったのですが、病院での生活だったためお互いにストレスもたまる毎日でした。子どもも体が動けるようになり、あれもしたい、これもしたいと言ってくるようになりましたが、思うようにいかず、またケンカをしたりのくり返しでした。
 そのころ、ボランティアのみなさんが部屋にきてくれました。でも、体が動くようになったとはいえ、長時間起き上がってるのは無理なのでと、そのことを伝えたとき、「寝たままでも遊べるおもちゃもあるから大丈夫ですよ」とやさしく声をかけてくださいました。
 子どもとボランティアの人と遊んでいる姿をみてるとなんかホッとしました。子どもも親以外の人と遊べるのが本当にうれしいらしく、楽しそうでした。そして私も、少しの時間をもらい、その間、5分だけ外へ出て息抜きをしに行きました。 本当に大切な時間を頂きありがとうございました。


用事が出来て助かっています (2歳女子 母親)

 初めの2ヶ月くらいは見向きもしなかった娘でしたが、玩具を持ってねてくれるボランティアさんに興味を示すようになりました。元気になるにつれ、私との2人きりの日常にマンネリを感じていたのでしょう。入院してからほとんど笑顔を見せなかった娘が、「キャッキャ」と声を出して笑うようになりました。 「今日はボランティアさんが来るよ」と言うと、「ボラン!ボラン!」と、ドアの方を指差し楽しみにするようになり、そうなってからは平日も含め、週2回(1回2時間程)来て戴くようになりました。
 私もその時間は、用事をすませ、銭湯に行ったり、整骨院へ行ったりと、少しゆっくり自分の時間が持てるようになり、私にとっても娘にとってもボランティアさんの存在はなくてはならない、本当に必要な存在となっています。


天国から地獄へ  付き添いの父親の気持ち (6歳男子 父親)

 それまで元気ではしゃいでた息子の様子が変わった。急に「胸が苦しい。背中が痛い。」と言い出し、熱も38℃まで上がった。夜中まで待っても熱が下がる気配もなく、症状がヒドくなっていくだけで、朝まで待てず、病院へ急いだ。明け方まで色んな検査をしてもらったが、はっきりした理由は判らなかった。一度家に戻り、午前中にもう一度病院へ向かった。同じ様に色々な検査をしたが原因や病名がわからず、そのまま検査入院することになった。3日後、検査の結果が出て病名がわかった。急性リンパ性白血病。聞いてビックリした。頭が真っ白になった。テレビやニュースでは見たり聞いたことはあり、亡くなってる人もいる。そんな病気が何故息子にやってくる?まだ6歳なのに・・・。息子は死ぬのか?
 すぐに息子は無菌室の個室に移された。長い闘病生活の始まりだった。担当医からは、すぐに治療法や治療計画を聞かされた。「これから2年間の抗ガン剤を投与していく化学療法になります。現状この病気になった人の7割が完治しています。完治率9割を目指して頑張っているので、そんなに心配しないでください」と言われたが、心配や不安だらけだった。天国から地獄へ落とされたみたいな。こんな気持ちは、実際にこういう病気に関わってる人にしか分からないものなんだと実感した。そして、息子に対してこの病気をどう説明をすれば良いのか?ストレートに生きるか、死ぬか、そんな病気だと告げていいものなのか? 母親がいない分、仕事しながらでも、自分が面倒をみなければいけない。通常の生活なら今まで通りに、昼間は実家に預け、仕事をしていれば問題はない。しかし、これからは病院が中心の生活だ。やっていけるのか?


一人の子どもに10人のボランティア(8歳女子の母)

 部屋にボランティアさんが二人ずつ来てくださるようになって、笑顔が増えました。最初は週1回90分でしたが、やがて3回から4回になりました。10人ほどのいろんな個性をもつボランティアさんが交代で来て下さるようになりました。プレイルームのように他の子どもに気後れすることがなく、また同年齢のお友達と遊べない分、中でも学生ボランティアさんは娘にとってお姉さんのような存在でした。ボランティアさんには、親にも言わない病院でのこと、好きなこと、やりたいことなど、お友達のように色々おしゃべりしていたようです。
 私といたときは、5分の買い物、トイレでも「行っちゃだめ!」「早く帰ってきて」10分だと「遅い!」、「わたしも外に行きたい、ママはいいね!お外に行けて!」と言われていました。ところがボランティアさんのいらっしゃる日は、買い物から帰ってくると、廊下にも笑い声が聞こえました。「ママもう帰ってきたの!」とこちらが拍子抜けするほどでした。私は安心して買い物に行ったり、食事をとったり、銭湯に行くことができました。
 あたたかな雰囲気に私も嬉しくなりました。あやとりや編み物、演奏会、プロミスリング、バルーンなど、色々な遊びをして頂いて、楽しい時間はあっという間。「毎日来てほしい!」娘はいつも言っていました。


悲しみの底から引き上げてくれたボランティアさん(8歳の娘を亡くした母親)

 娘は8歳で亡くなりましたが、主治医の先生がボランティアさんを紹介して下さったことに、とても感謝しています。親は病気を治すことに精いっぱいで、入院中でも成長していることを忘れてしまっていますが、ボランティアさんが気づかせてくれました。そして、娘の亡きあと悲しみの底から私を引き上げて、大学などで多くの皆さんの前で娘のがんばりを伝える機会を下さったことも。もし、そういう場所に出て行く機会がなければ、私もパパも、もっと悲しみの底にいてずっと動けなかったと思います。娘のがんばりを思うと私も前に進まなければ、と最近そう思えるようになりました。ボランティアさんのおかげです。

医療スタッフの声
★子どもの声へ ★親の声へ ★ボランティアの声へ ▲上に戻る↑
医療スタッフの声

なくてはならない存在 (独)国立国際医療研究センター 小児科医師

 病院に勤めていると、健康な子どもってどんな子どもだっけ、というのがときどきわからなくなります。乳児健診や幼稚園の健診などに行くと、元気な子どもが走り回って遊んでいる・・。それをみて「ああ、やっぱり病院の子は健康ではないんだな(当たり前ですが)」とあらためて認識するわけです。
 子どもたちの1日は、寝ているかご飯を食べているか以外の時は、多くは自由な時間です。もちろん幼稚園や学校という制約もあるけれど、それだって仕事をしている大人に比べればかなり自由度があります。元気があれば、そんな時間を楽しみながら過ごす、お友達と遊んだりして過ごす、兄弟姉妹たちとケンカしたり、笑ったりしながら過ごすといったことを意識しないでやれるけれど、病気の子どもはそれが難しいですよね。辛い治療や、狭い病室、いつも同じ顔、そんな中でどう工夫すれば楽しいのか。私たち医療スタッフが関わってあげる時間もあまりないし(悲しいけれど)。
 そもそも、「楽しむ」なんてことができるのか?・・・できるんだということが、ボランティアさんと遊ぶ子どもを見てよくわかりました。プレイルームで、フエルトでできたお魚やイカやタコを釣っているのを見たときの驚き、今でも感激した研修医の日のことを忘れることはできません。ビーズで作ったアクセサリー、朝は痛い検査で怒っていたのに、「先生あげる」といってくれたときの嬉しい気持ちや、出られない病室の奥から大きな笑い声が聞こえて来るときのびっくりなど(こんなとき、私たち医師はドアの外に耳を付けてこっそり聞いています)。思い起こせば、温かい気持ちでいっぱいのボランティアさんたちの作ってくださった時間によるものです。時間って、気持ちによってすごく長く感じられたり、なんだかあっという間に過ぎてしまったり、と思うこともあるものですけれど、楽しいこと、うれしいことはどんどん過ぎていく、そして苦しい治療もいやな検査も、そんな楽しい時間と一緒にどんどん過ぎていく、そんな風であるといいな、と思います。
 いろいろと大変なことがあると思いますが、いまやボランティアさんは医療センターにとってはなくてはならない、あたたかく、優しい存在です。


子どもの権利を守り続けて (独)国立国際医療研究センター 小児科看護師

 週末になると子ども達は、「今日ボランティアさんの来る日でしょ?この部屋に来てもらうように伝えてよ」と、ボランティアさんが来てくれるのを心待ちにしています。ボランティアさんが子ども達と遊んでいる姿を見ると、いつも感心させられます。子ども達は、私と遊んでいるとすぐに飽きてしまい、違うことに興味を示したりすることが多いのに、ボランティアさんと遊んでいる時は目が爛々と輝き、まだ遊び足りないと思わせるあの表情。「遊び」は子どもの権利…いつも心に引っかかりながらもその権利を守ってあげることが難しい現状で、ボランティアさんは大きな存在です。入院という非日常的な世界で、「遊び」という日常の世界を運んできてくれるボランティアさんに感謝しています。いつまでも子ども達の味方でいてくださいね。

ボランティアの声
★子どもの声へ ★親の声へ ★医療スタッフの声へ ▲上に戻る↑

ボランティアの声

ベッドでライブ♪(慶応大学政策・メディア研究科1年)

 この4月からYちゃん(2歳白血病)と遊ぶメンバーになりました。プレイルームにお母さんとおもちゃを選びに来たYちゃんに初めて会ったとき、「ちっちゃい!」というのが第一印象でした。かがんでお顔をみると、少し緊張したお顔がありました。部屋に戻り、坂本ボランの誘導で、おままごとが始まるとYちゃんの緊張もだんだん解れ、少しずつ笑顔になりました。遊びの途中で、「音楽」とYちゃんが言い、ラジカセでSMAPの“ありがとう”をみんなで聴くことになりました。音楽がなると、Yちゃんは、持っていたおもちゃを楽器にし、体を動かして、楽しそうに踊ります。ベッドがステージで、「即席ゆ〜ちゃん LIVE」をしました。「Yちゃーん!こっち向いて!!」、ベッドの上で踊るYちゃんに手を振ると、本物の歌手みたいに、笑いかけながら、手を振ってくれました。「ファンなんです。握手してください!」と言うと、落ちないように、ベッドの(柵の)柱に手をかけながら、手を差し出し、握手までしてくれました。今日はお薬の関係で、いつもよりダルいと聞きましたが、それなのに元気な笑顔を見せてくれました。
 遊びの途中で、何度か「外にいきたい」と主張するYちゃん。「今はお外に、いかれないんだよ」と伝えると、顔を曇らせ、少し不機嫌になるYちゃん。Yちゃんの葛藤や我慢を聞いて、こんな時、どうしたらYちゃんにとって一番いいことなのだろうか?と思いました。さよならをするときYちゃんが小さな声で「日曜日の午後なら(Yちゃんは)いると思うから」と言ってくれました。「また来てね」と言ってくれているようで、次回の訪問が楽しみになりました。


T君のくせ、見〜つけた(主婦)

 今は主婦をしていますが大学で社会福祉を学びました。娘も五歳になり、少し手が離れたので、院内学級など入院しているお子さんに関わることをしてみたいと探しておりましたところ、子どもと遊ぶボランティアに関する新聞記事を見つけたのがきっかけで、お手伝いさせて頂くことになりました。子どもたちと仲良しになって楽しい時間を作っていきたいと思っています。幼稚園のお迎えがあるので平日の午前中の活動を希望したところ、T君(2歳・白血病)を紹介していただきました。
 毎月第3火曜日の午前が私の担当で、今日は大学生の茜さんと訪問しました。3回目の訪問でT君のクセを一つ発見してしまいました! T君、「おでこでスリスリ」、気になるオモチャなどはおでこで感触を味わうようです。マラカスをスリスリ、木製のカタカタ音の出る人形をスリスリ、うーたんもスリスリ。またそのしぐさがとってもかわいらしいんです。ボランティアが来るまで寝ていたというのでご機嫌もよかったのが幸いでした。お医者さんから、「音の出るオモチャが好き」とアドバイスを頂いたので最初はマラカスで遊びました。振ったり、T君にチョンと触れて音を出すと笑顔に。高いところからポトッと落とすと大ウケでケタケタ笑っていました。今回は初めて笑い声を聞いたので俄然やる気が出てしまい、もっと楽しませてあげようとヒートアップ。ボールの投げっこではT君の力が強くて、うーたんもボールも何度もベッドから転げ落ちました。ちょっと元気にはしゃぎ過ぎたかな?最後は眠くなったようでしたので今日の遊びはここで終了です。
 帰る前、あお向けに寝ていたT君の足を持ち上げて「ボンッ」と言って足を降ろしてあげたらそれが気に入ったようで、何回か私たち二人に、足を突き出し「ボンッ」をねだっていました。今日はすっかりT君に楽しませて頂きました。
 (T君の入院歴は半年。3人きょうだいの真ん中でお母さんはきょうだいの世話もあり、ご家族の要望により平日の訪問を開始。)


遊びのボランティアにはじめて参加して(大妻女子大学4年)

 私は今日初めて参加して学ぶことばかりでした。常に全体にリーダーや経験者の目が行くようにボランティアを配置しているのを見て、入院していない子と同じように遊びを提供するためには、ボランティア側が病院であることをしっかりと意識して臨むことが大切なのだと感じました。
 遊びの場面では、おもちゃを見ると年齢の小さい子が興味を持っていたのは視覚や聴覚で楽しめるものが多かった気がしました。また、ボタンを押したり、玉を穴に入れるなどのおもちゃがたくさんあり、子どもが指先を動かすことにも繋がっているのかなと思いました。年齢が大きい子はカードゲームなどをしており、ゲームを選ぶ際には会話が生まれるものを選んでいました。プレイルームでは同じおもちゃで二人の子が遊んでいました。遊びを通して子どもたちの人との繋がりや社会性も育まれているのかなと感じました。
 私は個室から出られないという白血病の2歳のYちゃんと関わらせて頂いたのですが、最初に部屋に行くと「今、吐いてしまったので待っててもらえますか?」と言われました。Yちゃんの表情を見ると顔色が良くなく、つらそうに見えました。なので、大丈夫かな、どうやって接したらいいのだろうと少し不安になりました。けれど、先輩ボランティアの接し方を真似て笑顔を絶やさず、唄を歌いながら接したり、手遊びをしてスキンシップを図ったりしていくうちに、Yちゃんも私の顔を見てくれるようになり口数が増え、笑顔も見せていたのでこちらまで元気付けられました。
 ボランティアをする前は、遊びで子どもと関わる際、病院の外の世界のことをどう扱ったらよいのだろうと思っていましたが、ごく自然に絵本に出てきた乗り物や遊園地の話などしており、ボランティアは子どもと外の世界を繋ぐパイプ役にもなっているのかなと思いました。 実際に子どもと関わりだすと楽しくて時間があっという間に過ぎてしまいました。病気であることなど忘れてしまうような子どもが笑っている姿がとても印象的でした。

フット
トップページ 活動理念 活動の実績 普及啓発 遊びのボランティアがいる病院 支援のお願い フェイスブック リンク集 問い合わせ ▲上に戻る↑